さぁ悪夢の話を
こんにちは!
GIN<ジン>です(*^-^*)
いつも”旅”を中心に記事を書いてる僕ですが、ふと「そういえば最近雑談記事書いてないなぁ・・・。」と気付いたので、今日はひっっっっっっっっっっっさしぶりに雑談をしていきたいと思います(´▽`*)
毎回緩い僕の記事ですが、今回はより緩くなるのでよろしくお願いします(?)ね!
そんな今日の記事は何をテーマに雑談しようかといいますと・・・
先日僕が見た悪夢について話してみようかと思います(<●>皿<●>)
まぁ悪夢と言ってもおばけ系やグロテスク系ではないので、そういうのが苦手な方も安心して読んでいただけると思います!
とはいえ、夢の中の僕は本当に地獄のような苦しみを経験したので、これはみなさんにお話ししなければ、と(笑)
そしてその状況を想像していただいて、みなさんにもぜひ地獄のような苦しみを感じていただきたいな、と(悪笑)
まぁ今回はそんなことを企みつつ緩~く書いていく記事ですので、みなさんもどうか肩の力を抜いて緩~くお楽しみください(*^^*)
【注意】
※これはあくまでも先日寝てるときに見た夢の話です。GIN<ジン>の実体験ではないのでご注意ください。そして正夢にならないように願いたいです。。。
※ぜひ夢の中の状況を想像しながら読んでください。じゃないと僕が何やら見た夢のことをひとり朗々と語る変人に成り果ててしまいます。よろしくお願いします。
では、ちょっと寝てみましょうか。
おやすみ~(ノД`)・゜・。
ぼんやりと霞んでいた意識が急に覚醒します。僕は立っていました。
とりあえず、ゆっくりと周りを見回します。そこは大きな四角い部屋の真ん中。”大きな”と言ってもそこまで巨大なわけではありません。中学校や高校の教室よりひと回り大きいくらいの広さでしょうか。床はフローリングで、少し高めの天井にはいくつもの電灯が取り付けられていて十分な明るさを保っています。壁は白色、ですが僕の目の前の壁だけ一面鏡張りとなっていました。
どうやらここは、ダンスやお芝居などの稽古をする「レッスンスタジオ」のようです。(バレエのレッスン室を想像してもらうとわかりやすいかな?)
周りには僕と同じくらいの年代の男女が十数名。2~3人で真剣そうに話したり、冊子のようなものをじっと眺めたり、何やらみんな各々で忙しそうにしていました。
「よーし、じゃあ一回通しでやってみようか!」
いきなり男性の大きな声が響きました。
周りには同年代の男女しかいないと思っていたのですが、見ると、50代くらいのおじさんが一人、前方の鏡壁の右端辺りに置かれた椅子に座っていました。
そこでようやく状況を理解しました。僕はこの光景に見覚えがあったのです。
実は僕は以前、役者業をしていたことがあって(←これは夢じゃなくて本当の話です)、今見てるこの光景は舞台演劇の稽古をしているときのレッスンスタジオそのものだったのです。そして、先程おじさんが言った「通し」とはいわゆる「通し稽古」のことで、演る演目を本番と同じように最初から最後までノンストップで進める稽古のことを指します。つまり、今ここは舞台演劇の稽古をしているレッスンスタジオで、周りにいる同年代の男女は演劇に出演する役者や裏方の人たち(そしておそらく僕もこの劇団の一員)。とすると、あのおじさんは演出家(舞台演劇における監督的立場の人)といったところでしょうか。そして今まさに、これまでの稽古を経て作品の完成度を見るために通し稽古が始まろうとしている、という状況でした。
おじさんの号令を受けて、周りにいる男女たちは一斉に準備に取り掛かります。バタバタと騒がしい足音が響くレッスンスタジオ内。そこで僕はふと、ある疑問に気付きます。
「・・・あれ?俺は何をすればいいの?」
”何をすればいいか”どころの話ではありません!
僕も劇団の一員としてレッスンスタジオの中にいるのに、いくら考えても自分に与えられた役目が思い出せません!というか、今から始まる通し稽古に関する一切のことが思い出せないんです!
演目は? 俺の役は? 準備するものは?
いくら頭を悩ませてみても一向に思い出せません。
忙しなく動き回る仲間の中で、僕はただただ突っ立っていることしかできませんでした。。。
そんな僕を尻目に着々と準備は進みます。
前方鏡壁のすぐ前には2枚のパーテーションが置かれます。一枚は鏡壁の右端、そしてもう一枚は鏡壁の左端に。鏡壁を背にして見ると、ちょうど間が大きく開いた「ハ」の字の形です。これは舞台演劇の稽古なので、パーテーションの裏、鏡壁とパーテーションの間の狭い空間を「舞台袖」、そして左右のパーテーションの間にできた3mほどの空間を「舞台」と見立てているのでしょう。先程号令を掛けた演出家のおじさんは僕のちょうど真後ろ、レッスンスタジオ後方の壁前真ん中に椅子を持っていき座り直します。鏡壁側を舞台、レッスンスタジオ後方の壁側を客席としたセッティングです。
やがてセッティングが終わり、準備を終えた仲間たちはそれぞれ演目開始前の初期位置につきスタンバイを始めます。ところが、相変わらず僕はレッスンスタジオの真ん中に突っ立ったままでした。だって、今から演る演目はおろか、自分が役者なのか裏方なのかすらわからないのですから初期位置になんてつきようがありません。僕は右にも左にも後ろにも前にも動き出せず、ただオロオロとうろたえることしかできませんでした。
仲間全員が配置につき、とうとう僕一人だけ取り残されてしまいました。レッスンスタジオのど真ん中で挙動不審のようにキョロキョロと周りを見回すことしかできない僕。
やがて、「あいつ何してんの?」と周りから怪訝な視線が飛んでくるようになります。
みんなを待たせてしまっていることへの申し訳なさと何も思い出せないことへの焦りとで頭は混乱し、背中にはジワっと嫌な汗が滲みました。ど、どうしよう・・・。
すると、「こっちこっち」と小さな声が聞こえました。
見ると、前方の右端、鏡壁前に置かれたパーテーションの裏から男の子(とはいえ同年代なんだけど・・・)が早く来いといった様子で必死に手招きをしているのが見えました。僕は突き刺さる視線から逃れたい一心で、招かれるまま後先考えずパーテーションの裏に滑り込みます。先程も書きましたが、パーテーションの裏は「舞台袖」。どうやら僕は裏方ではなく役者として演目に参加するようです。よかった・・・とりあえず初期位置にはつけた・・・。
「じゃあいくよ!よーい、スタートッ!」
僕がパーテーションの裏に潜り込むと間髪入れずに演出家のおじさんが声をあげ、通し稽古をスタートさせます。まるで「一秒たりとも無駄にはできない!」といった様子です。
最初に登場する役がパーテーションの間(舞台)に出ていき演技を始めます。僕は先程の痛い視線から何とか逃れられた安心感で、その演技をしばらくぼ~っと眺めていました。
しかし安心したのも束の間、次なる問題に気付きます。
・・・舞台袖にいるということは、俺は役者・・・。
俺って何の役なの!?
男の子の助け舟で初期位置にはつけたものの、だからといって自分の役目を思い出せたわけではありません。依然、通し稽古に関する記憶は真っ白です。演劇が始まっているというのに演目すら思い出せません。
もう自分で考えても無駄!ここまで来たら覚悟を決めるしかない!!
そう悟った僕は、恥を承知で先程助け舟を出してくれた男の子に恐る恐る問いかけます。
「あの・・・俺って何の役なの・・・?」
男の子の表情が一瞬のうちに「こいつ何言ってんの!?信じられない!」というものに変わりました。
そりゃそうです。通し稽古といえば、個々の練習はもちろん、各場面の稽古もしっかり固め終わった後に、まさしく”稽古の最終段階”として行うものです。そんな通し稽古の最中に「自分の役って何?」などと世迷い言を言っている奴がいるのですから。
でも、僕も引けません。更に言葉を重ねます。
「ごめん、忘れちゃって・・・。」
すると男の子は溜め息をつき「じゃあ台本見ろよ・・・。」と呆れた様子で僕の右手を見ました。僕もそれにつられて自分の右手に目を向けます。すると、右手には今回の演目のものであろう台本が握られていました。今まで全く気付かなかったけど・・・最初からこんなの持ってたっけ・・・?
少々疑問は残りますが、とにかく台本を持っているのはラッキー!すぐさま台本を開けて中を確認します!
すると、なんと不思議なことに、台本自体には全く見覚えは無いのですが、なぜか中に書かれたセリフの数々には薄っすらと既視感を覚えるのです。なんとなく見たことある・・・ような気がする・・・!!
これはチャンス!!
この調子なら自分の役やセリフを思い出せるかも!急いで台本を読み進めます!!
俺の役はどれだ!?
思い出せ!!
思い出せ!
思い出せ
思い出せ・・・
思い出せ・・・ないッ!!( ;∀;)
なんでッ!?
セリフには薄っすら見覚えがあるのにッ!!
なんで自分の役だけ思い出せないんだよッ!!
その瞬間、背後から先程の男の子の声が聞こえました。小さな、しかしとても芯の通った声で、僕の一番恐れていた言葉を投げかけてきました。
「おい、お前の出番だぞ。」
終わった・・・。
台本の中身には薄っすらと見覚えはあるものの、自分の役もわからない、セリフも思い出せない。そんな状態で”稽古の最終段階 通し稽古”の場に立たされる・・・。
僕はふらふらと舞台へ出ていきました。舞台上には男の子が2人。ひとりは片膝をついた姿勢で、もうひとりは、けがをしている設定なのかその傍らに苦しそうに寝そべっていました。もう、何がなんだかわかりません・・・。
舞台上の2人、舞台袖に控えている役者のみんな、レッスンスタジオ後方に座っている裏方の人たち、そしてその奥壁際に座っている演出家のおじさん。全員の視線が僕に注がれます。その雰囲気からはっきりわかりました。
・・・ああ、俺のセリフの番なんだな・・・。
しかし、一言も、最初の一文字さえもセリフは浮かんできません。
黙りこくる僕に、全員の怪訝な視線が突き刺さります。またしてもこの状況に立たされてしまいました。先程と違うのは、僕がもううろたえず、全てを諦めたかのように力なくうな垂れていることだけ。
ただ黙って俯き続ける僕に痺れを切らしたのか、演出家のおじさんが言葉を投げてきます。それに柔らかさは微塵もなく、まるで僕の状況を見透かしたような言葉でした。
「おい、ちゃんと練習してきたのか。」
「えっと・・・。」
僕は言葉に詰まります。まさか「この演劇のことを何も思い出せません」なんて口が裂けても言えません。というか、台本の中身には薄っすらと見覚えがあるのだから”何も”思い出せないわけではないのです。極端な話ですが、自分の役やセリフを丸々全部ド忘れしてしまったのではないか、とまで思えてきてしまいます。
「すいません・・・。」
ギリギリ絞り出せたのがこの一言だけ。周りの空気が一気に凍り付くのがわかりました。
通し稽古をする段階で、セリフはおろか、自分の役すらもわかってない奴がいるなんて。しかもそんな奴と一緒に舞台演劇を演るなんて。こいつ本当に大丈夫か!?やる気あるのか!?
辺りは静まり返っていましたが、身体中に容赦なく突き刺さる視線と共に、みんなの心の声がはっきりと聞こえたような気がしました。
みんなに申し訳ない。つらい。逃げたい。でもどうすることもできない。
なんで、なんでこんなことに・・・
そして僕は目を覚ましました。
目の前には朝の陽射しに照らされた見慣れた自室の天井がありました。
「・・・きっつ・・・。」
小さく独り言ちた僕はこれが夢であったことに心から安堵するのでした。。。
どうでしたか?
結構マジで悪夢じゃなかったですか?(笑)
夢だったとわかった今でも思い出すと冷や汗かきそうになります・・・(*_*;
これまで演劇やダンス、歌などで舞台に立った経験のある方ならよりリアルに肝を冷やせたのではないでしょうか(笑)
『慣れたことでも決して油断してはいけない』ということなのかもしれませんね!(ちょっと違う気もするけどw)
ちなみに、実際の僕はセリフを覚えるのめちゃくちゃ得意なんですよ(*^^*)
自分の役のセリフではなく、自分以外の役のセリフを覚えるのがコツなんです!一見遠まわりなように思えますが、他の人のセリフを覚えることによって・・・
・・・というのはまた別の話なので、ここで話すのはやめておきますね( *´艸`)
久々の雑談記事でしたが、楽しんでいただけましたか?
ちょくちょくこういう記事も書いていければいいな(*^-^*)
では、また次回の記事でお会いしましょう!
くれぐれも悪夢にはお気をつけくださいね~(笑)
暁の水平線に勝利を刻め!≪北の防人 大湊警備府≫ ~青森県 むつ市 大湊~
1886年(明治19年)に制定された「海軍条例」に基づき日本に設置された4つの鎮守府、横須賀鎮守府、舞鶴鎮守府、呉鎮守府、佐世保鎮守府。
これらの鎮守府は戦後、旧日本海軍が「海上自衛隊」となった後もそれぞれが”海上自衛隊の主要基地”として編成され、今もなお私たちの生活を護ってくれています。
大人気の艦隊育成ゲーム「艦隊これくしょん‐艦これ‐」の中でもサーバー名に各鎮守府の名前が割り当てられていて人気を集めていますよね!
ところで
戦時中、日本周辺の海域を護るために、上記の4鎮守府に加えもう1ヵ所重要な海軍港が置かれていたことをご存知でしょうか?
そういえば、旧日本海軍の鎮守府は4ヵ所ですが、海上自衛隊の主要基地はそれよりも1ヵ所多い全5ヵ所となっていますね。。。
今回の旅はその残る1ヵ所が舞台。
北の防人「大湊警備府」が置かれた町、青森県 大湊を旅していきたいと思います!
もちろん、今回も僕らしく「艦これ」を絡めつつ紹介していきますのでご安心(?)くださいね(*^^*)
では、大湊に向けて出発しましょう!
艦隊、抜錨!!
青森県「野辺地駅」からJR大湊線に乗車し、ゆったりと電車に揺られながら下北半島を進むこと約1時間。JR大湊線の終着駅「大湊駅」に到着です!
駅舎の玄関口には”てっぺんの終着駅 大湊駅”と書かれた看板が掲げられています。
「単純に”(本州)最北端”って書いちゃダメなの?」と思ったあなた・・・。
いい質問ですね!!
JR大湊線は下北駅を発車後すぐに路線が「へ」の字に曲がり、その後終着駅の大湊駅に到着します。下北駅が「へ」の字のてっぺん部分に位置し、大湊駅が「へ」の字の書き出し部分に位置すると考えてもらうとイメージしやすいでしょうか。
つまり、大湊駅は緯度的に言うと下北駅よりも若干南に位置しているんです。そのため”最北端”は名乗れないので、”てっぺんの終着駅”というフレーズになってるんですね。
・・・もう何というかドンマイとしか言いようがないww
駅前は”落ち着いた田舎町そのもの”といった雰囲気で、正直「あれ?海自は?(;・∀・)」と不安になってしまうほど(笑)
大湊駅から海上自衛隊 大湊地方隊までは少し離れています。距離にして約4kmほど。
駅前からタクシーに乗って大湊基地へ向かう人もいますが、僕にとっては4kmなんて”近場”でしかありません。当たり前のように歩いて向かいます。
大湊駅から大湊基地までの海沿いの道って歩いてるとめちゃくちゃ気持ちいいんです!
それに、歩いて行くからこそのお楽しみもあるんですよ(*^^*)
大湊駅から大湊基地まで海沿いの道が続いています。(地元では「下道」と呼ばれているそうです。)
”遊歩道”と言えるほどのものではないかもしれませんが、”地元の方の散歩道”と言った雰囲気の道です。目の前に広がる「陸奥湾」を眺めながらのんびりと歩ける素敵なスポットです(*´ω`)
陸奥湾を背にして陸側を見上げると、なだらかに「釜臥山(かまふせやま)」が広がっています。僕が大湊を訪れたのは7月。夏の大きな晴れ空に映える釜臥山の緑がとても綺麗ですね(*^_^*)
道中で出会った猫ちゃんとも遊びつつ歩を進めます♪
歩いていると、町のいたるところで水が流れ出ている場所を見かけます。
実は、大湊は日本有数の”湧水地”なんです!
釜臥山が蓄えた雪解け水や雨水が地下水となって湧き出ているのだそう。
場所によってはコップが備え付けてあり誰でも自由に水を飲めるようになっています。
先程言った”歩いて行くからこそのお楽しみ”とはこのこと!
一点の濁りもない澄みきった湧き水はひんやり冷たくて、口に含むと”飲む”というよりもまるで”身体に染み渡っていく”かのよう( *´艸`)
穏やかに広がる陸奥湾や青空に映える釜臥山を眺めながらいただく湧き水は最高のごちそうです(≧ω≦)!
大湊の町に数ヵ所ある湧水群は「大湊天然水巡礼」として巡礼マップも作成されています↓↓
【PDFファイル】
https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/shoko/mu-gisen/files/map.pdf
(「ものづくりでまちづくり実行委員会事務局-青森県立むつ高等技術専門校」さんより引用)
ジョギングの給水所としてこの湧水所を利用されている方もちらほら見かけました。
海上自衛隊の方でしょうか(^^)
海沿いの景色や湧水を楽しみながら歩くこと十数分。
いよいよ護衛艦の艦影が見えてきました!
沿岸に建つ民家と比べて見てみると、いかに護衛艦が大きいかがわかりますね!
では、そろそろ大湊警備府のことも詳しくお話ししましょうか♪
既に疑問に思った方も多いと思いますが、戦時中、大湊に置かれたのは「鎮守府」ではなく「警備府」という海軍港なんです。
「警備府」とは、海軍規模の拡大に伴い、鎮守府の諸業務を分掌させるために要港部を改組し、より権限を拡大したもののことをいいます。
わかりやすく言うと、”主に鎮守府のサポートをする海軍港”のこと。
グレードとしては”鎮守府”のひとつ下となりますが、大湊警備府には水雷艇などが配備され、千島方面への防備強化、艦隊の後方支援、海上護衛などの任務に従事したそうです。戦後、旧日本海軍が海上自衛隊となったあとは、他の4鎮守府と同様に海自主要基地(地方隊)として編成され、今日まで北方の海の安全を護り続けてくれています。
警備府が由来ではありますが、海自地方隊としての地位は他の4基地と同等のため、そういう意味では実質”鎮守府へと昇格した”と言えますね(^^)
そうこう話してるうちに大湊基地が近付いてきました。
そこで見てほしいのがこの写真!
大湊を訪れて僕が一番たまげた風景です!
何か気付くことはありませんか??
海上において、民間エリアと海自エリアを区切る仕切りが一切無いんです!!
他の海自基地を訪れたことのある方ならなんとなくイメージできるかもしれませんが、いくら海自基地が”気軽に訪れることができる場所”とはいえ、そこは軍事機密の塊。地上であろうと海上であろうと、民間エリアと海自エリアの間には何かしらの仕切りや囲いがあるのは当然のことです。
しかし、上の写真のように大湊は海上に民間エリアと海自エリアを隔てる仕切りが無いんです!ぶっちゃけ、行こうと思えばここからボートに乗って護衛艦に近付くこともできてしまいます。(もちろん、そんなことをしたら罪に問われるので本当にしちゃダメだよ!)
こんな風景が見られるのは日本中でも大湊だけではないでしょうか。
大湊に住む方々にとって海上自衛隊がいかに身近な存在であるかを物語っているようです。
ついに大湊基地に到着しました!!
護衛艦3隻が出迎えてくれました!
左から「114 すずなみ」「120 しらぬい」「103 ゆうだち」です!!
「120 しらぬい」は2019年2月に就役したばかり!ピカピカです(´▽`*)
ちなみに艦これにも「駆逐艦 不知火」と「駆逐艦 夕立」がいますね!
不知火と夕立。艦これではなかなか見かけない組み合わせですが、いったい何をお話ししてるのでしょうか?( *´艸`)
不知火「不知火に何か落ち度でも?」
夕立「ぽいぽい」
ちなみにこの場所、自衛隊桟橋近くの空き地(宇田児童公園の前)になります。
ネット上で「多目的スペース」や「多目的公園」と呼ばれているのを目にしたことはありますが、どうやら場所としての正式名称は無いようです。
この場所、仕切りや鉄柵無しで護衛艦をこんなに近くで見られるのに、なんと民間のスペースなんです!!
立ち入るのに許可や申請は一切要りません!いつでも自由に立ち入って好きなだけ護衛艦を眺められるんです!すげぇよヤバイよ!!!
時間によって閉鎖されることもないので(※)、こんな夜闇の中の護衛艦も撮ることができます!
(※)冬場は終日閉鎖されることもあるようです。
夜間、ここまで近距離で護衛艦を撮影できるのは、本当に日本中で大湊だけだと思います!
大湊に住む方々にとっては日常の光景かもしれませんが、他所から来た海自好きにとってはこの上ない貴重な瞬間!!興奮が止まりませんでした!!
[注意]
夜間、撮影をしていると海自の方に声を掛けられることがあります。これは、夜間のスパイ活動を警戒するためのものなので、話しかけられた際は正直に”趣味での撮影である”ということを伝えましょう。
声を掛けられたときは少しびっくりしますが、怖がらなくて大丈夫です(^^)
ここまで好条件が揃っているこの自衛隊桟橋近くのスペース。
もちろん、休日には海自ファンの方々が集まる”護衛艦撮影スポット”となります。・・・とはいえ、僕が知る限り(イベントとかでない限り)人でごった返すことはないと思われます。
僕が訪れたのは7月の3連休。更に年に一度の大規模掃海訓練が行われる期間であったにも関わらず、護衛艦を見に来ている人の数は多いときで7~10人程度。
「え!?なんで!?なんでみんな護衛艦見に来ないの!?こんなに近くで見られるのに興奮しないの!?」と周りの人に問いただして回りたいほどでした(笑)
ともあれ、人が少ないのは嬉しいこと(*^^*)
心ゆくまでゆっくりと護衛艦を眺められます♪
護衛艦の配置変更や各基地からの入港は、基本的には朝に行われます。
つまり、早朝から海自基地を訪れると航行している護衛艦を見られる可能性が高いんです。
僕は”海自基地めぐり”をするとき、基本的に朝イチで基地を訪れます。
この日も朝7時頃から例の自衛隊桟橋近くのスペースを訪れていました。
すると、沖合から基地に近付いてくる艦がちらほら・・・。
上でも少し書きましたが、僕が大湊を訪れた3連休は、年に一度の大規模掃海訓練が行われる期間だったんです!(別に狙って訪れたわけではありません。僕もこの日、地元の方に聞いて初めて知りました(;^ω^))
訓練自体は陸奥湾沖で行われるため見学することはできませんが、この訓練のために続々と入港してくる艦を見ることができました!!
掃海艦「304 あわじ」に掃海艇「606 はつしま」!
「あわじ」も「はつしま」も横須賀基地所属の艦艇です!!
「あわじ」や「はつしま」だけではありません!
掃海母艦「464 ぶんご」と「463 うらが」も入港してきました!!
しかもこの2隻に関しては、近くの自衛隊桟橋(桟橋を挟んで「103 ゆうだち」の隣)に並んで着岸・繋留してくれました!
巨大な掃海母艦がゆっくりと桟橋へ接近し、そこから細心の注意を払って行われる着岸・繋留作業。
こんな貴重な瞬間を、
こんなに間近で見られるなんて(≧ω≦)!!
感激すぎて過呼吸になるところでした(笑)
そして撮影することができたレアシーン!!
護衛艦「114 すずなみ」「120 しらぬい」「103 ゆうだち」は大湊基地所属。
海上自衛隊5基地のうち、3基地の艦艇が1枚の写真の中におさまってます!!(しかも「しらぬい」「ゆうだち」は満艦飾!)
こんな貴重すぎる瞬間、この先また見られるかどうか・・・。
写真と共にしっかりと瞼にも焼き付けた感激の瞬間でした!!
護衛艦を見てテンション上がりすぎました(;^ω^)
熱を冷ますため基地を離れて少し歩きましょう。
訪れたのは大湊基地から少し丘を登ったところにある「北の防人 大湊」という公園施設。カフェテリアや展望台、児童図書館やイベントスペースなどがあり、休日には家族連れで賑わう憩いの公園です(^^)
上の写真の建物は「安渡館(あんどかん)」。
館内にはカフェテリアや売店などがあり、一息休憩する場所として最適です♪
こちらは「海望館」。
その名の通り海側(大湊基地側)を一望できる展望台です。
外観からするとそれほど高くないようにも見えますが、実際に上ってみると結構いい眺めなんです!夜景も綺麗ですよね(*^^*)♪
しかもこの海望館、なんと無料で入ることができます!
ここからゆっくりと海を眺めるのもまたいいものです(*´ω`)
ちなみに、海望館からほっこり海を眺めてるときにふと近付いてくる艦影を見つけて「あの艦なに!?」とダッシュで自衛隊桟橋前まで戻る!みたいなことも何回かありました(笑)
カフェテリアや展望台などホッと落ち着ける憩いのスペースが多い「北の防人 大湊」ですが、実は旧日本海軍に関係する施設も多く残されているんです。
上の写真は「弐番館」(上の写真)と「壱番館」(下の写真)と呼ばれる建物。
これらは戦時中、旧日本海軍 士官の「士官官舎」として使用されていました。
「官舎」というのは宿舎のこと。
つまりここは、旧日本海軍の偉い人たちの宿舎として使われていた建物なんです。
壱番館は廃屋となっていますが、弐番館の方は内部が改修され、現在ではサークル活動の場や展示スペースなどとして使用されています。
「北の防人 大湊」の敷地を出て、少し基地側に戻ってみましょう。
すると、鉄柵に囲われた古い建物が見えてきます。
ここは「北洋館」。
先程訪れた「安渡館」や「海望館」と名前の印象が似ていますが、ここは「北の防人 大湊」の施設ではなく海上自衛隊の施設となります。
建物の前には魚雷発射管や、2005年にその役目を終え除籍となった輸送艦「4103 ねむろ」の主錨が置かれています。
北洋館は大正5年に大湊の「水交支社」(海軍士官の社交場のこと)として建てられたものだそうです。現在では、大湊地方隊の史料館として一般公開されています。
この北洋館、館内には約1000点の貴重な史料が展示されていて、普通に見て回るだけでもかなり見ごたえのある史料館となっています。
入館料などはかからず無料で入れるのですが、無料で見て回っているのがなんだか申し訳なくなってくるほど。
本当に貴重な史料ばかりで、旧日本海軍に興味のある方なら1~2時間ほどは出てこられないのではないでしょうか。実際僕も1時間半出てこられませんでした(笑)
ちなみに北洋館は、大湊地方隊における”艦艇見学(艦艇一般公開)”に参加する際の集合・解散場所にもなっています。艦艇見学の前や見学の後、少し時間を作ってぜひ北洋館に入ってみてください!大湊警備府や海上自衛隊 大湊地方隊を知るうえで非常に有意義な施設となっています(*^^*)
(見学には規則がありますので、行かれる際は必ず「海上自衛隊 大湊地方隊ホームページ」を確認してください)
そうそう。旧日本海軍の軍人さんの中で僕の1番好きな人が北洋館で紹介されているので、ぜひお話しさせてください。
この人は「木村昌福 少将」。
軽巡洋艦 阿武隈の艦長で、旧日本海軍史の中でも屈指の難作戦「キスカ島撤退作戦」を成功させた人物です。
敵軍に包囲され、完全に孤立したキスカ島。そこにはまだ約5200人の日本兵が取り残されています。その日本兵を助け出す作戦が「キスカ島撤退作戦」でした。
目的地のキスカ島周辺には日本の救助艦隊を迎撃するための敵軍の大艦隊が今か今かと待ち構えています。しかも「キスカ島撤退作戦」が発令されたのは、日本軍が大敗した「ミッドウェー海戦」の翌年1943年。日本にはもう雀の涙ほどの戦力しか残っていませんでした。極小の戦力で大艦隊の包囲網を突破し、更に救出活動をして、日本に帰還する。文字通り絶望的な作戦でした。
そんな絶望的な作戦の指揮を任されたのが木村昌福 少将でした。
正面から突っ込んでも勝機は無い。相手の目を欺くために、木村少将は海上に濃霧(視界ゼロになるほど濃いもの)が発生するのを何日間もじっと待ち続けます。しかし、時間だって無限にあるわけではありません。こうしている間にも、キスカ島に残された日本兵目掛けて敵軍が攻め込むかもしれません。やがて部下たちから「作戦を強行しましょう!」と声が上がり始めます。痺れを切らした軍上層部からも「早くしろ!」と催促され始めます。催促や非難は日に日に大きくなっていきました。それでも、木村少将はじっと濃霧を待ち続けました。
1943年7月29日。ついに待ちに待った濃霧が発生します。木村少将は艦隊を率いて直ちにキスカ島へ突入。わずか1時間という短時間で約5200人全ての日本兵を収容し、全速力でキスカ島を離脱。絶望的な作戦であった「キスカ島撤退作戦」を見事成功させたのでした。
この間、奇跡的に敵艦隊に発見されることはありませんでした。なので、敵との戦闘行為は行っていません。敵側にも味方側にも、死者はおろか、一滴の血さえも流れずに「キスカ島撤退作戦」は成功したのです。
「キスカ島撤退作戦」は後に「奇跡の作戦」と呼ばれ、作戦を成功に導いた木村昌福 少将は昭和天皇に拝謁する名誉を受けたそうです。
「帰ろう。帰ればまた来られるから。」
この言葉は、いざ作戦開始と出撃したものの、濃霧が出ていなかった為その日の作戦遂行を断念し引き返そうとしたとき「これ以上待ってられない!このまま強行突入しましょう!」と苛立つ部下たちを諭すために発せられた言葉だそうです。
実は木村少将を知るまで、僕は「旧日本軍はみんな玉砕主義の、血も涙もない鬼のような人ばかりなんだ」と思い込み、旧日本軍を嫌悪していました。でも木村少将のことを知って、ここまで冷静に状況を判断し、催促や非難に耐え、優しく部下を諭せる人もいたんだと知りました。
木村少将は僕の旧日本軍のイメージを変えてくれた人なんです。
僕が艦これや海自を通して旧日本海軍や戦争のことを知り、そのうえで改めて平和学習をしていこうと思えたのは、木村少将のことを知ったからかもしれませんね(*^^*)
では最後に「大湊に来たなら絶対見ておかなきゃね!」という場所に向かいましょう!
ここは「北の防人 大湊」からもう少し山側へ登ったところにある旧日本海軍の史跡「沈澄池堰堤(ちんちょうちえんてい)」です。
海軍専用の水道施設として造られたもので、この池に宇田川と大湊川から水を流し込み、そのまま溜めることで土砂を沈殿、清浄化させ、綺麗になった水を下流に建てられた水槽に送水していました。
こうして作られた水は、艦船を動かすための真水や官舎・大湊警備府の生活用水としても使用されていたそうです。
周囲の木々の色付きと共に四季折々の表情を見ることができ、大湊のシンボルスポットとして愛されています(*´ω`)
記事を締める前に腹ごしらえ(≧ω≦)
大湊に来たならやっぱり「おおみなと 海自カレー」食べないとね!!
海自の街ではお馴染みの海自カレー。もちろん大湊にもあります♪
「ああ、呉の海自カレーの大湊版?(´▽`*)」と、思ったあなた。
はっきり言おう・・・。
呉 海自カレーとは
別物と考えた方がいい(<●><●>)
もちろん”海自カレー”という括りでは呉の海自カレーと同じです。
しかし、呉 海自カレーとはしっかり差別化されているのが「おおみなと 海自カレー」のすごいところ!
上の写真を見て気付くことはありませんか?
そう、どれもテッパンなんです!!
呉で海自カレーを食べたことある人ならわかるかと思いますが、「呉 海自カレー」はそのほとんどが”お皿”で出される一品料理ですよね!付いてもサラダくらい。
でも、「おおみなと 海自カレー」はそのほぼ全てが”テッパン”で出てくるんです!
サラダが付くのは当たり前。そこから更に揚げ物に卵にデザートに、と一食いただくだけでお腹いっぱいになります(;^ω^)
その代わり、呉の約30種類に対して大湊は約10種類と数は少なめ。
種類で勝負の呉、品目で勝負の大湊!といった感じでしょうか。(別に戦いじゃないんですけどねw)
とはいえ、こうして呉と比較するかのように書いてますが、海自カレーが美味しいのは大湊も呉も同じ(*^^*)
1度の旅では到底制覇できそうにないので、大湊にもくり返し訪れる必要がありますね!
いかがだったでしょうか。
北方の海を護っていた大湊警備府。そして、今も護り続けてくれている大湊地方隊。
ここは、他4ヵ所の海自基地の街に決して負けない唯一無二の魅力と歴史が詰まったとても素敵な町なんです(*^^*)
もうはっきり言います。
海自好きは大湊行ったほうがいい!!
そうすれば僕のようにヘロヘロになるほど興奮できることでしょう(笑)
僕もまた大湊行かなきゃ(*^-^*)♪
かつて大湊警備府が置かれた地。
そして、北の海を護る海上自衛隊 大湊地方隊がある町。
青森県 大湊でした!
みなさんもぜひ訪れてみてくださいね!
琵琶湖に浮かぶパワースポット ~竹生島~
日本一大きな湖「琵琶湖」。
滋賀県のほぼ中央に位置し”近畿の水瓶”とも呼ばれてきた琵琶湖は近年、日本有数のパワースポットとしても注目を集めています。
巷では「滋賀県の1/3は琵琶湖w(※1)」「滋賀県ナメたら水止めるぞ(※2)」となにかとネタにされる琵琶湖(笑)
しかし、そうしたネタだけでは語りつくせない魅力が琵琶湖にはいっぱいあるんです!
今回の舞台は、我が故郷 滋賀県!
パワースポット琵琶湖に浮かぶ更なるパワースポット「竹生島(ちくぶしま)」を旅していきたいと思います!
では、日本一大きな湖、
そしてパワースポットへ出発です(*≧ω≦*)!
(※1) 本当は県面積の1/6。滋賀県って意外とデカい。
(※2) 滋賀県民が京都・大阪民に対して唯一大きな態度をとれる事柄。京都や大阪の水道水のほとんどは琵琶湖から引いた水を使用していることからくる。ちなみに滋賀県はそのほとんどが近隣の山から引いた水を水道水としているため琵琶湖の水が止められてもほぼノーダメージ。
竹生島へ向かう前に、まずは琵琶湖のことについて軽くお勉強しましょう!
ご存知の通り、琵琶湖は滋賀県にある日本最大の面積と貯水量を誇る湖です。
面積は669.26㎢、貯水量は27.5㎦、最大水深は104.1m、周囲の長さは241㎞あります。琵琶湖南側の最狭部(一番くびれた所)にかかる「琵琶湖大橋」を境として、北側を「北湖」南側を「南湖」と呼びます。
上にも書きましたが、その豊富な貯水量を活かして京阪神に水道水を供給しているため「近畿の水瓶」とも呼ばれています。
室町時代の連歌師 柴屋軒宗長の歌にも琵琶湖のことが歌われています。
『武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋』
(京へ上るには一見、矢橋(やばせ)の港から舟に乗って琵琶湖を渡る方が早いように思えるが、風の影響で遅れたり危険を伴ったりするため、瀬田の唐橋までぐるっと南下して行った方が確実である)
この歌から「急がば回れ」ということわざが生まれました。
急がば回れ。元は「急ぐなら琵琶湖を回って行け」という意味だったんですね(^^)
そしてあまり知られていませんが、琵琶湖は世界に20ほどしかない”100万年以上前から存在する湖”、いわゆる「古代湖」のひとつなんです。古代湖の中では13番目に古い湖だそう。ちなみに日本国内で古代湖に指定されている湖はなんと琵琶湖のみ!
世界的にも有名な湖のひとつなんです。
滋賀県で生まれ育った身としては当たり前に身近にあるものだと思っていたのですが、実は琵琶湖ってすごい湖だったんですね(*^-^*)
琵琶湖についてちょっぴり詳しくなったところで、いよいよパワースポット 竹生島へ向かいましょう!
竹生島に向けて橋は架かっていないので、島へ渡る際には船に乗ることが必須となります。竹生島への航路を開いている港は下の3ヵ所です。
①今津港
②長浜港
③彦根港
もちろんどの港から乗船しても竹生島へは渡れるのですが、料金や乗船時間は少しずつ異なるので旅の日程やその他行先へのアクセスを考慮しつつ選択することをお勧めします。
ちなみに、京阪神からのアクセスの場合は①今津港が、愛知・岐阜方面からのアクセスの場合は②長浜港または③彦根港がおススメのようです。
①今津港の近くには「高島のメタセコイア並木」、②長浜港の近くには「長浜城」や「黒壁スクエア」、③彦根港の近くには「彦根城」などの観光スポットもありますので、竹生島とともに合わせて訪れてみるのもいいかもしれません♪
僕はこの日の旅程を考慮して長浜港から乗船することにしました!
クルーズ船に乗船し竹生島へ向けて出航!!
長浜港を出て程無くすると船の真後ろに滋賀県の最高峰「伊吹山」が見えてきました!
この日は天気が良かったので雪を被った山頂まではっきり見えますね(^^♪
長浜港から竹生島へは片道約30分。
ほぼ直線で航行するのにも関わらず結構時間がかかるんです。
やっぱり琵琶湖ってデカい!!改めてその大きさを痛感します。
ちなみに僕が琵琶湖を訪れたのは真冬。
晴れているとはいえ、湖上の低気温と強風により甲板はまさしく極寒となっていました。んが!そこは「船に乗るなら甲板一択やろ!!」と豪語する僕。30分の航行の間、震えながらも甲板からの景色を目一杯堪能してました!
やがて、船の前方に小さな島が見えてきました。
この島こそ、パワースポット・・・竹生島!!
竹生島は琵琶湖の北部に浮かぶ面積0.14㎢の小さな島(それでも琵琶湖に浮かぶ島の中では2番目に大きい)です。島には「宝厳寺」というお寺が建立されており、島のほぼ全体がこの宝厳寺の境内となっています。そのため人は住んでおらず、夜間は無人島となります。
では、そんな小さな島がなぜパワースポットと呼ばれるようになったのでしょうか?
それを説明するためには、時間を1200年ほど遡ることになります。。。
神亀元年(724年)、当時の天皇 聖武天皇は夢枕に立った天照大御神よりあるお告げを受けます。
「江州(滋賀のこと)の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。」
このお告げを受けた聖武天皇は僧 行基を遣わして堂塔(後の宝厳寺)を開基させ、そこにご本尊として弁才天像を安置させました。それ以来、竹生島には天皇の行幸(天皇のお出ましのこと)が続き、伝教大師、弘法大師なども修行をしに来られたということです。
つまりわかりやすく言うと、
七福神の一柱で富・名誉・福寿・縁結び・音楽・芸能などを司る神として広く有名な弁才天。そのうえ、天照大御神が直々に聖地として指定された島なのですから”パワースポット”として人気を集めるのも頷けます。
小さい島ながら、なかなかビッグな物語を秘めているのが竹生島なんですね(*´ω`)
船が港に到着し、いよいよ竹生島へと降り立ちます。
すると、湖上を進んでいた時には晴れ渡っていた空が一変。島に足を踏み入れた瞬間、大粒の雪が降り始めました。
単純に竹生島周辺の天候が変わっただけなのでしょうけど、場所が場所なだけに何か人智を超えた力のようなものを感じてしまいます。。。
実際、竹生島の空気は街中や職場といった日常生活の中で感じる空気とは全く違っていました。ピンと張り詰めた、荘厳で神秘的な空気。その空気に圧倒されたのか、思わずしばらくの間身体を強張らせたまま立ち尽くしてしまいました。
拝観料(大人 400円)を払い、宝厳寺の敷地内に入ります。
竹生島は全体的に急な斜面で形作られた島なので平地はほとんどありません。平らで大きな地面が広がっているのは船着き場くらい。
境内を巡るほとんどの道が石段や上下にうねった道となります。
拝観料を払い受付門をくぐると、目の前に長い長い石段が立ちはだかります。
この石段は「祈りの階段」と呼ばれ、165段の石段が宝厳寺の本堂まで続いています。段数が多いうえに傾斜が急なところもあるので登る際、降りる際には十分注意しましょう。
祈りの階段を登りきった先、一際大きなお堂が姿を現します。
この中に本尊の弁才天像が安置されています。
宝厳寺に祀られている弁才天像は神奈川の江ノ島、広島の厳島と並ぶ「日本三弁才天」のひとつで、その中でも最も古くに建立された弁才天なのだそうです。そのため、ここ竹生島の弁才天のみ名前の前に「大」の字を付け「大弁才天」と呼ばれています。
よく見ると堂前の提灯にも「大辯(弁)才天」と書かれていますね!
舞い散る雪の中で静かに佇む本堂は本当に息を飲むほど美しく、しばらくの間思わず見惚れてしまうほどでした。
本堂から更に石段を上がると「三重塔」に辿り着きます。
宝厳寺の三重塔は江戸時代初期に一度消失しているそうで、今ここに建てられているのは再建された三重塔だそうです。
普段、内部は非公開となっているため柵の外から見上げることしかできませんが、それでもこちらに覆いかぶさってくるような迫力には圧倒されます。
ちょうど雪も止み天気も回復してきました。
三重塔の朱色と重なる三枚屋根が青空に映えますね!
竹生島で撮った写真の中でも特に気に入っている一枚です(*^^*)
三重塔から少し降りてきました。
すると、目の前に黒地に金の装飾が美しい大きな建築物が見えてきます。
こちらは「唐門」と呼ばれる建築物。国宝に指定されています。
豊臣秀吉を祀る京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を豊臣秀頼の命によってここ竹生島に移築したものだそうです。
唐門をくぐり中に入るとそのまま観音堂へと続いています。
ちなみに”唐門”とは”唐破風を持つ門”という意味。
その名の通り、破風(屋根のすぐ下に取り付けられた板)には美しい金の唐装飾が施されていますね。豪華絢爛を極めた桃山様式の特徴が見てとれます。
残念ながら、僕が訪れたときは保存修理中だったため板の仮入り口が組まれていました。保存修理を終えた後の”完全版 唐門”もぜひ見てみたいですね(*≧ω≦*)
唐門をくぐり観音堂を抜けると、木造の渡り廊下に辿り着きます。
こちらは「舟廊下」と呼ばれる渡り廊下で、重要文化財に指定されています。
一見普通の渡り廊下に見えますが、実はこの木製廊下、朝鮮出兵を行った際に秀吉が乗船した船「日本丸」の船櫓(ふなやぐら、甲板のこと)を利用して造られたものだそうです。なので”舟廊下”という名称が付いてるんですね!
舟廊下を外側から見てみると、木の柱が組まれていて廊下部分は地面から3メートルほどの高さに造られていることがわかります。
舟廊下は観音堂からの渡り廊下です。
では、観音堂と何を繋ぐ渡り廊下なのでしょうか?
その答えがこちら。
舟廊下は観音堂とその先の「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)」の本殿とを繋ぐ渡り廊下なのです。
都久夫須麻神社は竹生島の東側に位置する神社で、本殿は先程の宝厳寺 唐門と同じく国宝に指定されています。ご神体は竹生島そのものだそう。
竹生島の観光案内などには「都久夫須麻神社」と記載されていますが、普通に「竹生島神社」と呼ばれることもあり、どちらの呼び方でも問題ないようです。
陽を浴びてどっしりと構える本殿は”立派!”の一言。
この、もの言わせぬ佇まいが「かっこいい!!」と思えてしまうのは僕だけでしょうか?( *´艸`)
都久夫須麻神社 本殿の目の前には「竜神拝所」という場所があります。
ここでは、かわらけ(平皿のような形をした土器)に願い事を書き、湖面に突き出た宮崎鳥居に向けてかわらけを投げる「かわらけ投げ」をすることができます。
投げたかわらけが鳥居をくぐれば書いた願い事が叶う、と言われているそうです。
また、竜神拝所からの眺めは”竹生島の中で一番の絶景”と言われています。
ここからゆっくりと琵琶湖を眺めてみました。。。
竹生島に降り立った時に降っていた大粒の雪はすっかり止み、青空からの明るい光が湖面を煌めかせる。かと思えば、写真右奥の空は未だどんよりと厚い雲に覆われていて、おそらくその雲の下では雪が降っている。
・・・なんだか、世界が塗り替えられていく瞬間を見ているかのよう。
美しくもどこか不思議な光景に出会うことができました。
帰りの船の時間が近付いてきたので船着き場へ戻ります。
その道中。祈りの階段を下っているときのことでした。
木々の間を抜けようとしたその瞬間、琵琶湖から吹いてきた風がザーっと辺りの木を揺らし、僕はふと立ち止まって注意を払うため足元へと落としていた視線を上げました。
すると、(写真ではわかりづらいのですが)目の前のひらけた空中に風によって木々の葉から舞い上げられた無数の細かな水の粒が舞い、それが陽の光を受けてまるでダイヤモンドダストのようにキラキラと煌めいているのが見えました。
それがもう美しくて美しくて・・・。
しばらくの間、何も考えることができずその無数の煌めきにただただ見惚れていました。
この煌めきを見た瞬間、なんだか竹生島の神様に応援されているような気がして。。。
今日、ここへ来て本当に本当に良かった、そしてぜひまた来たいと思えたのでした。
いかがだったでしょうか。
小さな島ではありますが、そこからは想像もできないほどの貴重な文化財や歴史が詰まった琵琶湖に浮かぶパワースポット 竹生島。僕自身、竹生島を訪れるのは初めてでしたが、神秘的なパワーや温もりを確かに感じられるとても素敵な場所でした。
我が故郷 滋賀県。
まだまだ僕の知らない魅力がいっぱいあるんだと実感できる有意義な旅になりました(*^-^*)
この記事を通じて、竹生島はもちろん、滋賀県や琵琶湖にも少しでも興味を持ってもらえたなら幸いです。滋賀イイよ滋賀♪
貴重な歴史と文化財が詰まった島。
そして、琵琶湖に浮かぶパワースポット。
みなさんもぜひ訪れてみてくださいね!
湯の華ひとひら ~大分県 湯平温泉~
お風呂っていいですよね!
温かい湯船にゆっくり浸かっているとまるで身体の疲れや心の疲れが溶け去っていくようです。
できれば毎日浴槽にお湯を溜めて湯船に浸かりたいのですが、一人暮らしの僕はどうしても水道代が気になってしまってシャワーで済ませてしまいがち・・・。
だからこそ、旅先でゆっくりと入れるお風呂タイムは格別なんです(≧ω≦)!
今日の旅の舞台は、日本一の温泉県 大分県!
源泉の総数は4,418にものぼり、その湧出量は毎分279,549リットルにもなります!もちろん源泉の数も湧出量も堂々の全国1位!!
別府や由布院など有名な温泉地も多いですよね!
そんな温泉大国 大分県の中で今回向かうのは、実は僕がずっとずっと行ってみたいと願っていた場所「湯平(ゆのひら)温泉」!
「湯平温泉・・・?初めて聞いた。」という方も多いと思います。
なのでまずは、湯平温泉の場所からご紹介しましょう!
では、温泉目指してしゅっぱーつ(*^^*)!!
湯布院・・・聞いたことある名前ですよね(^^)
実は湯平温泉は湯布院温泉の中にある温泉のひとつなんです。
大分県の有名な温泉地 湯布院温泉は大きく3つの温泉から成り立っています。JR由布院駅周辺の「由布院温泉」、由布院駅から見て由布岳の裏側、伽藍岳(がらんだけ)の中腹にある「塚原温泉」、そして今回の目的地「湯平温泉」です。
「え、じゃあ由布院温泉だけ行けばそれでいいじゃん」と思うかもしれませんが・・・
全 然 い く な い ! ! !
同じ湯布院温泉ではあるものの、どれも唯一無二の個性があって3ヵ所とも全く違った温泉や景色が楽しめるんです!
3ヵ所の違いを詳しく説明してると話が脱線してしまうので割愛しますが、可能であれば、湯布院に行った際は3ヵ所全てまわることをおススメします!
同じ温泉地とは思えないくらい違いがある3ヵ所なんです!
では、話を戻して湯平温泉に向かいましょう!
由布院駅からJR久大本線 大分方面行きに乗り2駅。約12分で「湯平駅」に到着です。
たった2駅しか離れていないのに10分以上も時間がかかるのは、1駅分の区間の距離が長いから。田舎あるあるですね(笑)
湯平駅も無人駅で山並みの中にポツンと佇んでいる印象。電車を待つ人の姿もありませんでした。
こういう、一見”何もない”と思えてしまいそうな情景を「堪らん(≧▽≦)!!」と感じてしまうのが旅人の性というものでしょうか(笑)
「これぞ旅や!!」と言わんばかりにめちゃくちゃテンション上がってました。上の写真もすごい興奮しながら撮ってますw
駅のホームから出ることができません。
だってホームから見える景色がすでに絶景なんですから!!
ここまで広がりのある山間の風景はそうそうあるものじゃありません!
快晴の空の下、奥へ奥へと連なっていく山並みが美しい。
海好きの僕ですが、この絶景には思わずため息が出てしまいます・・・(*´Д`)
走る車の音も滅多に聞こえてこないホームには、遠くから聞こえてくる葉擦れと鳥の鳴き声が静かに響き、優しく吹き続ける風は時折薄く硫黄の香りを運んできました。
「本当に湯平まで来たんだ・・・!」と感激で胸がドキドキしました(*^-^*)
高鳴る鼓動をようやく落ち着けて駅の外に出ると、駅前には湯平温泉のお宿の案内看板が掲げてありました。町の規模としては少し小さいですが、それでも20以上の温泉旅館が軒を連ねています。
”大分県の温泉”と聞くと別府や由布院に目が行きがちですが、ここ湯平も”秘湯”として注目を集める知る人ぞ知る名温泉なんですよ(^ ^)
看板にも書かれている通り、湯平駅から湯平温泉までは約4km離れています。
ルンルン気分で歩いてるかのような人マークと共に「徒歩で約1時間」と案内されていますが、歩いて向かう人なんているんだろうか・・・(;^ω^)
駅前にタクシーなどは常駐していないので、湯平温泉へ向かう際は電話でタクシーを呼ぶか、宿泊する旅館での送迎サービスがある場合はそちらを利用しましょう。
ほどなくして駅前に1台の車が到着します。今宵、僕がお世話になる旅館「つるや隠宅」さんの送迎車です。旅館の方にご挨拶をして車に乗り込み、いよいよ湯平温泉へと向かいます。
そして同時に、僕の真の目的へも向かうのです。。。
車に揺られること約10分。本日のお宿に到着です♪
このお宿の外観を見た瞬間、胸がいっぱいになって思わず震えてしまいました。。。
「実在・・・したんだ・・・。」
あまりの感動に目の前の光景が受け入れられず、思わずそんな感想が込み上げてきます。
そう!
この「つるや隠宅」さんに宿泊することこそがこの旅の真の目的だったんです!!
つるや隠宅さんには、日本でも珍しい女将さんがいらっしゃいます(*^-^*)
その名も「電脳女将・千鶴」さん!
”電脳女将”って何?と思うかもしれませんが、要はこの旅館の公式キャラクターです。
ただ、よく見るゆるキャラのようなデザインではなく、本当に綺麗な女性の姿をしたキャラクターなんです!
”電脳”なのでもちろん現実世界に存在するわけではありませんが、Twitterには千鶴さんのアカウントがあり、千鶴さんはそこからつるや隠宅さんや湯平温泉の情報を発信されているんです!
また、千鶴さんのアカウントとは別に”つるや隠宅 公式アカウント”もあり、この双方のやりとりが 漫才のよう ボケとツッコミ 非常に愉快な雰囲気で見ていてとても楽しいんです( *´艸`)
また、つるや隠宅さんはTwitter上で度々 ネタに 話題になる旅館でもあって、今非常に注目されている旅館なんです!(どんなことが話題になったかはこの後見ていきましょう♪)
★千鶴さんとつるや隠宅 公式さんのTwitterアカウントを載せておきます。
ご興味ある方はぜひ見てみてください(*´ω`)
千鶴さんのアカウント↓↓
つるや隠宅 公式さんのアカウント↓↓
ではさっそく千鶴さんに会いに行こう!と思ってしまいますが、それはもう少し後の話。まずはお部屋に案内していただきましょう♪
上に書いた僕の説明だけ読むと「つまりオタクの人が喜ぶ旅館?」という印象になってしまうかもしれませんが、それはあくまでTwitter上のお話。
つるや隠宅さんは旅のお宿としてもとても素晴らしい旅館なんです!
その証拠に、
見てくださいこのお部屋とお部屋からの景色!!圧倒的風情!!!
湯平温泉は「じゃらんネット 全国温泉地満足度ランキング(秘湯部門)」で1位を獲得するほどの温泉地なんです!
奥まで連なる山々とすぐ横を流れる花合野川(かごのがわ)が本当に美しい。。。
「俺、こんな豪華なお部屋泊まっていいの・・・?(;・∀・)」と思わず恐縮してしまいます。
ちなみにこのお部屋、鹿子木灯 先生の描く熊本ドライブコメディー漫画『今日どこさん行くと?』の中で、主人公の上 司(かみ つかさ)ちゃんが宿泊したお部屋なんです!
作中には千鶴さんも登場してますね♪
机も椅子も金庫の位置も全部漫画の世界と同じ!
宿泊するお部屋まで聖地だなんて・・・!
聖地を旅する旅人として本当に感激です!(*≧▽≦*)
こちらはTwitterで話題になった、”宿泊しに来た昆虫などにご退館をお願いするときに使用する物”です(笑)
でも、たくさん昆虫がいるということは自然が豊かな証拠。
僕も虫は苦手ですが虫と同居することには慣れている(←実家がド田舎の山奥)ので、よほどのことが無い限りこれは使わないでしょう(^^)
廊下には漫画家さんやイラストレーターさんのサイン色紙、ここに宿泊された方々から寄贈されたキャラクターグッズなどが置かれています。
漫画の単行本やVtuberのアクリルフィギュア、仮面ライダーWのガイアメモリまで置かれていました(笑)
これはテンション上がる!ww
館内に居るもの楽しいけど、湯平に来たならやっぱり散策しないとね!
夕食の時間までちょっと散歩しましょう♪
湯平温泉は石畳、坂道、赤提灯の織り成す風景がとても情緒的で美しいんです。
本当にどの景色を切り取っても絵になります(*^-^*)
近くには石畳、軒を連ねる旅館、風に揺れる赤提灯が見え、それとは対照的に豊かな山の木々は視界の奥の奥まで突き抜ける。傍らに流れる花合野川からは絶えず水の音が聞こえてくる。石畳を吹き抜ける風には早春の草木の香りが感じられる。。。
目で見て、肌で感じて、深呼吸して。
豊かな自然と風情ある温泉地の風景を身体いっぱいで感じ取る。
それは本当に気持ちよくて、思わず「こんな贅沢していいのかなぁ」なんて言葉が漏れてしまうほどでした。
お待ちかね夕食の時間♪
お食事は別室の個室でいただきます。
部屋に入ると壁には千鶴さんの掛け軸が!!(※)
やっと会えたよ千鶴さん(*≧ω≦*)!!
ちなみにこの掛け軸、いわゆる”なんちゃって”ではなく本物の掛け軸なんです。
周囲に施された松模様の刺繍も全て本物!
その繊細な美しさに思わず顔を近づけてまじまじと見てしまいました。
そんな千鶴さんの横でいただくお夕食がこちら。
豪華すぎる!!!
「本当にこんな豪華なお食事いただいちゃっていいんですか?(;・∀・)」と心配になってしまうほど。
お部屋に景色にお食事に、と恐縮しっぱなしの僕ですが、今までの旅とは全く違う形の贅沢ばかりなので”新鮮!”よりも”感動!”の方が上回ることが多かったんです(;^_^A
新鮮なお野菜に旨味たっぷりのお肉。そして地酒「ゆのひらの旅人」。
美味しくないわけがないっ!!
もちろん残さず全部いただきました(*^^*)
千鶴さんの横でいただく美味しいお料理に美味しいお酒。
本当に幸せいっぱいのお夕食でした(*´ω`)
ごちそうさまでした!
ご飯食べたから次はお風呂かな?と思ったあなた・・・。
ご飯食べたらまた散策だ!!
まぁ本当は湯あがりの浴衣姿で夕涼みできれば風流でいいんですけど。。。
僕、お風呂入ると身体のスイッチがOFFになってしまうのかどうしても「もう動きたくな~い」ってなっちゃうんですよね(;^_^A
なので敢えてお風呂を後回しにして夜の散策に出かけました!
湯平温泉は夜の風景がまたすごいんです!
石畳の坂の下から上まで途切れることなく吊るされた赤提灯が点灯し、夜闇の中に赤く浮かび上がる湯平の姿。昼間見えていた遠くまで突き抜けるような山々は全て闇に飲み込まれ、視界に映るのはただ赤々と続く温泉街のみ。変わらないのは、傍らを流れる花合野川の水の音だけ。。。
昼間、奥行きのあった景色が一気に至近距離の景色へと凝縮されます。
ネット上では「ホラーゲームのサイレンみたいw」「湯婆婆に豚にされそうw」と、なにかとネタにされる湯平の夜景(笑)
でも、夜の闇と提灯の赤に支配された空間は少し怖くもあり、それでもとても神秘的な空気を纏っているのです。
ちょっと怖いけど先に進まずにはいられない。
もっと先の風景も見てみたい。
夜の湯平散策を楽しむ皆さんはきっとそんな気持ちで歩いているのだと思います。
昼と夜で全く違った姿を見せてくれるのも湯平温泉の素敵な魅力のひとつなんです(^^)
夜の散策からお部屋に戻ってくると綺麗に布団が敷かれていて、それと一緒に千鶴さんからのメッセージが置かれていました(※)
こんなに細かいところまで気を配ってくれているなんて本当に嬉しい(*´ω`)
「緊張しないで」と言っていただいてるのに終始恐縮しっぱなしだったのはなんだか申し訳ない気もしますが(笑)
千鶴さん、ありがとうございます。ゆっくりさせていただきますね!
千鶴さんからのメッセージにほっこりしながらいよいよお風呂へと向かいます!
つるや隠宅さんのお風呂は内湯と外湯の2ヵ所。
しかも、一旦お風呂に入ってしまえば自分が出るまでは貸し切りになるというルールなんです!
もちろん、先に他の方が入っていたならその方がお風呂を出るまで待つことになりますが、タイミングが良ければ内湯と外湯の貸し切り風呂を連続で楽しむこともできます。
一級の秘湯を優雅に独り占め。
しつこいようですが、こんなに贅沢していいんでしょうか?(;^_^A
つるや隠宅さんのお湯は少し熱めですが、その分ゆっくりと浸かることによって身体の芯までじんわりと温まって、本当に気持ちのいいお湯でした。
お風呂から出た後も身体がずっとぽかぽか温かくて、ほっこりと温泉の余韻に浸っていました(*´ω`)
ちなみに『今日どこさん行くと?』の司ちゃんは外湯の方を楽しんだようですね(^^)
そうそう!
つるや隠宅さんのお風呂の風呂桶はケロリンなんです。
細部にまで渡るつるや隠宅さんのこだわりが素晴らしいww
ギンギツネとキタキツネ。
内湯にも外湯にもしっかりコンビで置かれていました!
『今日どこさん行くと?』に描かれている風呂桶もおそらくけものフレンズケロリンでしょう。司ちゃんはどんな気持ちでこの風呂桶を眺めたんでしょうねw
お部屋に感動して、風景に感動して、お食事に感動して、夜景に感動して、お風呂に感動して・・・。
到着したときから眠りに落ちるその瞬間まで感動しっぱなしのまま湯平の夜は更けていきます。。。
翌朝、早起きをしてしっかり朝風呂もいただきました!
早朝の新鮮な空気の中で入るお風呂もまた格別です(*≧ω≦*)
鳥の声を聞きながらゆっくりと浸かるお風呂。
お湯の温かさが身体中に優しく染み渡っていきます(*´ `*)
身も心もぽかぽかに温まって朝食へ向かいます。
昨晩と同じく別室の個室で朝食をいただきます。
最後の最後まで豪華でもう泣けてきます・・・(;_;)
僕はこの日帰路に就く予定だったので、これが湯平でいただく最後のお食事。
寂しい気持ちを噛みしめながら、しっかりと味わって完食させていただきました。
本当に本当にめちゃくちゃ美味しかったです!
ごちそうさまでした(*^^*)
お食事をいただく部屋の壁には昨夜とは違うバージョンの千鶴さん掛け軸が掛けてありました。(※)
聞くと、この日【電脳女将・千鶴プラン】で宿泊していたのが僕だけだったので夕食と朝食で掛け軸の掛け替えができた、とのこと。
なんて・・・なんて幸せなんだ俺。。。
つるや隠宅さん、本当にありがとう(;_;)
この後、旅館の方とのお喋りを楽しみ、来たときと同じように湯平駅まで送迎していただいて、予定通り帰りの電車に乗りました。
こうして、初めての湯平旅は終わりを告げたのです。
いかがだったでしょうか。
湯布院の秘湯「湯平温泉」と電脳女将のいる旅館「つるや隠宅」さん。
豊かな自然と石畳が織り成す情緒ある風景、赤提灯が作り上げる神秘的な夜の空間。そして何より、一級のお湯!
別府や由布院に負けない素敵な魅力がいっぱいいっぱい詰まった温泉地。それが湯平なんです(^^)
僕が湯平温泉とつるや隠宅さんを知ったのは2018年の3月。
その日から2年間、ずっとずっと訪れたいと思っていたその願いが叶った旅でした。
つるや隠宅の皆さんも本当に気さくな方ばかりでお話ししてるのが楽しいこと楽しいこと。時間が過ぎるのも忘れてついつい話し込んでしまうほどでした(;^_^A(正直もっとお話ししたかったです(笑))
さて、次はいつ湯平に行こうかな( *´艸`)
”おんせん県”大分県の知る人ぞ知る名湯。
そして、みんなを癒す電脳女将がいる旅館。
湯平温泉とつるや隠宅さんでした!
みなさんもぜひ訪れてみてくださいね!
↓↓最後に注意書き↓↓
(※)記事の中で出てきた千鶴さんの掛け軸やメッセージは全て【電脳女将・千鶴プラン】での特典です。【電脳女将・千鶴プラン】以外では付かない特典ですのでご注意ください。
星と円盤と願いが輝く天文台 ~北海道 洞爺湖町・壮瞥町~
湖の上に浮かぶ大きな円盤。
その円盤に願いを掛けた少年少女の
優しくて、少し切ない物語。
『天体のメソッド』
以前の記事では、この作品の聖地として主に洞爺湖温泉バスターミナルや洞爺湖温泉街周辺の景色、遊覧船や花火などを紹介しました。
(過去の記事はこちら↓↓)
今回は洞爺湖記事 第2弾!ということで、以前の記事では書ききれなかった天体のメソッドの聖地を紹介していきたいと思います(*^^*)
では、さっそく不思議な湖の街へ出発です!!
最初にご紹介するのは、洞爺湖温泉バスターミナルから車で約15分。
洞爺湖のほぼ北側に位置する「浮見堂」です。
洞爺湖温泉バスターミナルから洞爺湖をぐるっと時計回りに移動して約11kmの道のり。さすがに歩ける距離ではないのでバスやタクシーを利用するといいでしょう(*^^*)
洞爺湖温泉バスターミナルから道南バスの洞爺村行きに乗車し、バス停「憩いの家」か「浮見堂前」で下車することで行けます。
僕が訪れた日は元台風の温帯低気圧が直撃した日だったので、なかなかに本格的な雨が降っていました(;^_^A
まぁでも、白く霞む中島の前に佇む浮見堂もこれはこれで味わいがあっていいものですよね!
この浮見堂には「聖徳太子の像」が祀られています。
大正の始め頃、北国行脚をしていた僧侶がこの地に宿泊したとき、肌身離さず持ち歩いていた聖徳太子の像が夢枕に立ち、こう述べたそうです。
「私はこの地が大変気に入った。私はここを住み家にしたい。私をここに大事に祀ってくれたらこの地は必ずや産業が発達し豊かな村になるだろう。」
それを聞いた僧侶は聖徳太子の像を人々に預け、この地に大切に祀るよう言い残し去ったそうです。その後、人々は僧侶に言われた通り聖徳太子の像を大切に祀り続けました。
そして、この浮見堂の中に祀られているものこそ、人々がこの地に大切に祀り続けてきた聖徳太子の像なのです。
歴史を感じますね(*^^*)
聖徳太子の像の前には賽銭箱が設置されていてお参りができるようになっています。僕もここまで来られた感謝の気持ちを伝えるためにお参りしてきました。
天体のメソッドの作中では、主人公の乃々香ちゃんたちがグループオリエンテーリングの際に訪れるチェックポイントのひとつとして、ここ浮見堂が描かれています(^^♪
浮見堂からもう少し北上すると「とうや水の駅」という道の駅があります。
その道の駅の前にあるL字の桟橋が次の聖地!
ここは天体のメソッドのメインビジュアルで描かれている桟橋です。
メインビジュアルでは楽しそうに笑う主役6人(乃々香ちゃん、柚季ちゃん、湊太くん、こはるちゃん、汐音ちゃん、ノエルちゃん)がこの桟橋の上に描かれています。
また、作中でそれぞれの気持ちがすれ違ったままバラバラになってしまった乃々香ちゃん、柚季ちゃん、湊太くん、こはるちゃんがお互いに謝りあって仲直りする際のキャンドルの灯に溢れる桟橋もここです(^^)
見た感じ少し古い桟橋のようで、老朽化が進んでいるのか立入禁止の札が掛かっていました。
作中の印象的なシーンで描かれている桟橋なので、ここに関しては雨模様ではなく晴れ渡った青空の下で見たかったかな・・・(;^ω^)
次の旅でのリベンジを誓います!!
洞爺湖温泉バスターミナルまで戻ってきました。
そのバスターミナルの裏側。洞爺湖とは反対側の山の方に歩いていくと「金比羅火口災害遺構散策路」が広がっています。
その散策路へ入っていく小道。ここも天体のメソッドの聖地です。
本編が終わった後に流れるEDの1カット。紫陽花が咲き誇るこの小道を幼少期の乃々香ちゃんが駆けていきます。
僕が洞爺湖を訪れたのは9月だったので紫陽花とは程遠い季節でしたが、いずれ紫陽花が咲き乱れたこの小道も見てみたいと思っています(*´ω`)
金比羅火口”災害遺構”散策路?と、ここの名前が気になった人もいると思います。そこでぜひ、この場所のことをお話しさせてください。
洞爺湖温泉街は活火山「有珠山」の麓に位置する温泉街なんです。
この有珠山は2000年3月、突如噴火を開始しました。火口から大量に流れ出した高温の水は周辺の土砂と混ざり合い「熱泥流(土石流の一種)」となって麓の街を襲いました。この時、街の人々の周到な準備と迅速な行動のおかげで幸い死傷者はゼロでした。しかし、有珠山の麓に建っていた町営温泉「やすらぎの家」や「桜ヶ丘団地」などは熱泥流に飲み込まれてしまいました。死傷者は出なかったものの、街には噴火による大きな傷跡が残ってしまいました。
この2000年に起こった熱泥流の爪痕を後世に残し教訓として活かしていくために、熱泥流の災害跡がほぼ当時のまま保存されたエリアが「金比羅火口災害遺構散策路」なのです。
上記の「やすらぎの家」や「桜ヶ丘団地」の建物も熱泥流に飲み込まれた当時の姿のまま保存されています。
割れた窓ガラス、屋内にまで流れ込んだ大量の泥、高熱で変形した鉄筋。あまりにもショッキングな光景に言葉を失い、写真など到底撮ることはできませんでした。。。
ただ、この場所を歩いていて気付かされたことがありました。
それは「ここは決して”恐ろしい”だけの場所ではない」ということ。
この場所を散策路(=ぶらぶら散歩するための道)としているように、ここで”恐怖だけ”を感じるのではなく「これを見て前向きにしっかり学び取っていこうよ」という洞爺湖町の思いが伝わってきました。その証拠に、それぞれの遺構には詳細な説明看板が立てられていて、目の前の情景と照らし合わせて読むことで熱泥流や噴火の凄まじさを肌で感じられるようになっています。
散策路からそのまま山道に入っていくと、当時噴火した2つの火口を見ることができます。
上の2枚に分かれた写真が山頂に近い大きな火口「有くん火口」で、下の写真が温泉街に近い小さな火口「珠ちゃん火口」です。今は大きな水たまりになっています。こうして可愛らしい名前を付けたのも、この災害をただ”怖いだけのもの”で終わらせないでほしい、という洞爺湖町の思いからなのかもしれませんね(*^-^*)
(※ここから先は別日の話になるので写真上の天気が変わります\(*'ω'*)/)
では、今度は洞爺湖温泉バスターミナルから東側、洞爺湖を反時計回りに回っていきたいと思います!
立ち寄りたい場所がいくつかあるので、バスターミナル前のレンタサイクル屋さんで自転車を借りました。
一時の相棒「高速自走兵器 チャ=リンコ」に跨りかっ飛ばします!!(*≧∀≦*)
少し冷たく気持ちの良い湖畔の風を受けながら走ること10分少々。
お土産物・お食事処「民芸御殿」に到着しました!
"民芸"の名の通り、店内には木彫りの熊や人形、手芸品などが所狭しと並べられ販売されています。何かお土産でも・・・と思って店内をうろうろと回ってみたのですが、少~しお値段の張るものが多かったので僕では手を出せませんでした(;^_^A
この日は休日だったせいか観光バスがひっきりなしに入ってきていたので、人が写りこまないように民芸御殿を撮影するのに苦労しました(笑)
天体のメソッド作中では、こはるちゃんの家族が経営する人気のお土産物屋「円盤御殿」として登場します。外観はもちろん、入り口上の店名の字体まで作中そのままでめちゃくちゃ感動しました!!
民芸御殿のすぐ隣、今はもう廃屋になってしまっているこの建物も実は聖地。
この建物は主人公 乃々香ちゃんの家のモデルになった建物です。
白い木壁に薄緑の屋根なんてなんだかオシャレですよね♪
元はジェラート屋さんだったそうですが、もう何年も前に閉店してしまったそうです。。。
ちなみにモデルになったのはあくまでもこの建物の外観だけで、作中の乃々香ちゃんの家はまた別の場所に建っています。上の写真のように”作中でも円盤御殿(民芸御殿)のお隣が乃々香ちゃんの家”というわけではないのでご注意を!
民芸御殿から更に自転車を走らせること約15分。途中、湖畔を離れて山道に入っていくと辿り着くのが、ここ「森と木の里センター」です!
ここは、森林の持つ良さを体験学習するための場所、また樹木を育てる喜びや緑を享受する場所として造られた学習センターです。一際目を引く高く伸びた塔のような建物は天文台。最上階の丸い部分の中に天体望遠鏡があり、イベントの時などには天体観測会が開かれます。
敷地内には炊事舎やテント床、バンガローなどがあり、気軽にキャンプやバーベキューなどを楽しめるようにもなっています。また、この建物内にも宿泊することができ、洞爺湖の自然や風景を存分に楽しめる宿泊施設として人気を集めているそうです。
ここは、幼少期の乃々香ちゃん、柚季ちゃん、湊太くん、こはるちゃん、汐音ちゃんの5人が出会い、毎日のように遊び、そして円盤に願いを掛け、別れた場所。乃々香ちゃんとノエルちゃんが出会った場所。中学生になった5人が本当の願いを思い出し、ノエルちゃんに別れを告げた場所。。。
天体のメソッドの物語の中心となった霧弥湖町(※乃々香ちゃんたちが暮らす街。洞爺湖周辺がモデル)の廃天文台。そのモデルがここ、森と木の里センターなんです。
天体のメソッドを好きな人なら絶対絶対訪れたい1番の聖地。
円盤に掛けた乃々香ちゃんたちの願いが時を越え奇跡となって降り注ぐ。。。
その物語が始まった場所に今立っていると思うと、ここに来られたことが本当に感激で感慨深くて・・・。
いつまでもいつまでも天文台を眺めていました。
施設の前に立てられた看板には洞爺湖周辺の四季や夜空の写真と共に天体のメソッドのことも書かれていました!
ここに描かれているイラストが、中学生になった乃々香ちゃんたちではなく、幼少期の5人とノエルちゃんなのがファンとしてめちゃくちゃ嬉しい(*≧ω≦*)!
天体のメソッドという作品を本当に大切に思ってくれているんだと実感できて、とても幸せな気持ちになりました。
天体のメソッドを好きになってよかった。
そして、洞爺湖まで来てよかった(*^-^*)
いかがだったでしょうか。
今回は洞爺湖温泉街以外の天体のメソッドの聖地をまわってみました。
美しい風景や深い歴史、かと思えば過去に起きた災害やその教訓。”天体のメソッドの中で描かれている場所”というだけでなく、その場所や物から伝わってくるメッセージはとても多く貴重で魅力に溢れるものばかりでした。
聖地を巡る中で数々の洞爺湖の美しさに触れ、深く考えさせられることによってこの地を大好きになる。そして、今まで以上にもっともっと天体のメソッドを好きになれる!そんな旅でした!
ノエルちゃんが言っている通り、
ここはみんなが”にっこり”になれる場所ですね(*^-^*)
多くの自然と教訓が息づく地。
そして何より、天体のメソッドの聖地!
北海道 洞爺湖でした!
みなさんもぜひ訪れてみてくださいね!
GINのラーメンレポート4 【MENSHO TOKYO(春日)】
旅記事の合間合間に緩和休題の如く差し込むラーメンレポートの第4弾(笑)
今回ご紹介するのは、東京都文京区春日、東京ドームのすぐ近くにあるお店『MENSHO TOKYO』さん!
”ここでしか味わうことのできない一杯”を大切にオリジナルラーメンを展開するラーメン屋さんです(*^^*)
では、さっそくラーメンを求めて出かけましょう!!
僕が春日に降り立ったのは平日の夜。
ちょうど帰宅ラッシュの時間に差し掛かろうかという時分だったので、通りには足早に家へと急ぐ人の姿がたくさん見られました。
冒頭でも紹介しましたが、文京区春日と言えば東京ドームのお膝元。
建ち並んだビルの明かりに行き交う車のライト、煌々と輝くネオンの数々。新宿や池袋などと比べたら少し落ち着いていますが、それでも十分”都会感”を感じられる街です。
見上げると、少し先に東京ドームシティの大観覧車が見えました。
調べてみるとこの観覧車、世界初のセンターレス観覧車だそうです。確かによく見たら中心の軸が無い。どこで観覧車を支えてるんだろう?
東京ドームシティの大観覧車を左手に見つつ「春日町」の交差点から西に3分ほど歩くと、今回の目的地『MENSHO TOKYO』さんに到着です♪
入り口の上にはデカデカと「こだわり自家製麺」の文字。
正直、店名よりも目立ってますw
行かれる際はこれをを目印にするとわかりやすいかもしれませんね!
お店の前には写真付きのメニュー表と共に「子羊とスパイスの融合」と書かれた看板が掲げられています。
最初見たときは「・・・(´・ω・`)?」という顔になってしまいましたが、店内でラーメンをいただくとこの言葉の意味をはっきり理解することができます(^^♪
中央大学 後楽園キャンパスが近いので店内は学生さんがいっぱい!!
周りのフレッシュな雰囲気と勢いにノせられる形で思わず「よっしゃ今日は食うで!!」という気分になってしまいます(笑)
そんな僕が注文したのは「ラム煮干つけ麺(全部のせ)」。
味玉、メンマ、チャーシュー、レモンに加えパクチーとラム肉がトッピングされています。ああ、表に書いてあった「子羊」ってこういうことか(*'▽')
見た目だけでも十分オリジナリティに溢れていますが、味もしっかり唯一無二のものになっています。
一見、普通の煮干スープかと思いきや、一口食べた瞬間口の中に抜けるのはスパイスの香り!思わずびっくりしてしまいましたが、「そういえば表には「スパイス」とも書いてあったっけ」と、入り口の看板を思い出して納得!
煮干+スパイシー。
いまいちピンとこない組み合わせかもしれませんが、これが意外といけるんです!単純に煮干だけなら、濃厚でまったりとした味で終わってしまいますが、そこにスパイスが掛け合わさることによってキリっと締まりが出る。
そんな新しい感動のスープが絡んだもちもちの太麺は、もうずっと噛んでいたくなるくらい味わい深くてめちゃくちゃ美味しいんです(*≧ω≦*)
チャーシューと共にトッピングされたラム肉も柔らかくて本当に美味!贅沢感も共に味わいながらいただきました(*´ω`)
ごちそうさまでした!!
『MENSHO TOKYO』さんへは、東京メトロ 丸ノ内線・南北線「後楽園駅」から徒歩1分。または、都営地下鉄 大江戸線・三田線「春日駅」から徒歩3分で行くことができます。
新たな価値観が生まれるつけ麺!
みなさんも『MENSHO TOKYO』さんで一味違う新しいつけ麺を味わってみてはいかがでしょうか?(*^^*)
以上、GINのラーメンレポートでした!
死者、そして自分と向き合う場所 ~恐山~
古くから山岳信仰が盛んで、高くそびえる山を神聖なものとして崇めてきた日本には「日本三大霊場(日本三大霊山)」という場所が存在します。
和歌山県の高野山、滋賀県の比叡山、そして今回ご紹介する青森県の恐山です。
先にも書きましたが、“日本三大霊場”としてよく並べて紹介されるこの三ヵ所。
ただ僕は、この中でも恐山は他二ヵ所とは全く違った雰囲気を持つ特別な場所のように感じるのです。
近年のパワースポットブームによって、高野山と比叡山は観光地としてもたくさんの方々が訪れています。草木が美しく周囲の景観も非常に華やかで明るい。対して恐山は、草木などが少なくほとんど岩肌がむき出しの、はっきり言うと物悲しい景観が続いています。
しかし、だからこそ恐山はこの世にありながら”あの世”に限りなく近い場所のように僕は思うのです。
”もしかしたら今、少しだけ死後の世界に触れているのかもしれない”
歩いていると思わずそんなふうに感じてしまう場所。
そんな場所だからこそ、自分自身に静かに思いを馳せることができるのかもしれません。
今日は、死者や自分自身と向き合う場所 青森県 恐山を紹介していきたいと思います。
旅を始める前に、まずは恐山について少し説明しておきましょう!
ちなみに”恐山”という名前の山は存在しません。カルデラ湖である「宇曽利山湖」を中心として周囲を囲む山々「釜臥山」「大尽山」「小尽山」「北国山」「屏風山」「剣の山」「地蔵山」「鶏頭山」の八峰の総称が「恐山」と呼ばれるエリアになります。
駅前からバスが出ているので、これを利用すると便利でしょう。また、JRより「駅から観タクン」という決められた観光コースを貸切タクシーを使って周遊できるチケット(普通にタクシー使うよりも断然安い!)も販売されていますので、電車やバスの時間に縛られたくない方、タクシー運転手さんとゆっくりお話しながら旅したい方はこちらの「恐山・釜臥山コース」(ごめんなさい。コース名うろ覚えです(;_;))を利用するのもいいかもしれません。
ちなみに僕はタクシーの運転手さんにあれこれ地元の情報を教えてもらうのが好きなので「駅から観タクン」を利用しました!
では旅を始めましょう。
恐山へ向かう車中、急に車内の空気・・・というか匂いが変わることに誰もが気付くと思います。くさいというほどではありませんが、かなり鼻に残る匂いです。
これは恐山から流れてくる硫黄臭。霊場が近いことを意味します。
駐車場に到着し車から降りると、目の前にはカルデラ湖である宇曽利山湖。そして、その反対側には恐山の霊場が広がっています。
この地に立った途端、空気が下界とは全く違うことに気付きます。
臭気が変わるから、という理由だけでなく、雰囲気や世界そのものが普段自分が暮らしているものとは全く異なるのです。
上の写真1枚目は「恐山菩提寺」の山門。
入山料 500円を支払い、ゲートをくぐるとすぐに見えてきます。
この日は霧雨が降っていて少し肌寒かったのでより荘厳な雰囲気が感じられます。
もうこの時点で”ここは心を落ち着かせて歩くべき場所だ”と感覚的に理解できることでしょう。というか、あまりの神秘的な空気に圧倒されて言葉を発することができません。僕の他にも何人か旅行者の方が居ましたが、喋っている人はほとんどいませんでした。
山門をくぐった先、本尊 地蔵菩薩を祀る「地蔵殿」(上の写真2枚目)の前で手を合わせ、霊場の奥に入っていきます。
地蔵殿を左に避けるような形で先に進んでいくと、急に視界が開けます。
今まで菩提寺の山門や地蔵殿などいくつかの建物が至近距離で目に入っていたのに、突如奥の奥まで景色が突き抜ける。これが下界なら爽快なふうにも思えますが、場所が場所なだけに一瞬戸惑ってしまいます。
ここから更に歩を進めていきます。
細かい砂利や石の世界はすぐに終わりを告げ、一瞬にして岩の世界に変わります。
写真の岩をよく見てほしいのですが、周囲にある岩も普通の山で目にするような岩ではありません。普通の岩よりも更に細かくゴツゴツとして角ばっていて、少し禍々しいような、ずっと見ていると恐ろしく思えてくるような印象を受けます。
奥に山の緑が見えますが、ここではまるで自分に向かって倒れ掛かってくるような圧迫感を感じます。
あまりの衝撃的な世界に不安を覚えて思わず後ろを振り返ってしまいました。
先程くぐってきた山門や地蔵殿が見えます。
これからどんどんこの先に足を踏み入れていきます。
歩みを進めるたびに自分が生きている世界が遠退いていくような、まるで”あの世に近い場所”から自分の生きている世界を眺めているような・・・。
遠くに見える山門や地蔵殿を眺めながらそんな気持ちに駆られていました。
ひたすら石と岩の世界を進みます。
見渡す限りゴツゴツした石や岩ばかり、辺りは変わらず濃い硫黄の匂い、天気のせいもあってか人は数えるほどしか歩いていません。
所々「順路」と書かれた看板が立っていたり、小石が避けられた道も作られていますが、ほとんどの場所が看板もない、道も作られていないむき出しの岩肌そのもの。
”今、自分はちゃんと順路を歩けているのだろうか”
そんな不安が込み上げてきます。
加えて”もし順路を外れたまま進んで行ってしまったら、もしかしたら本当に帰ってこられなくなってしまうんじゃないだろうか”という恐怖心も顔を出してきます。
「何をバカな」と笑われるかもしれませんが、本当にそんな不安に駆られてしまうほど心が圧迫される世界なんです。
歩を進めた先、更に息を飲む光景を目の当たりにします。
大きな岩などはなく広く開けた場所。しかし、周囲には無数の小石の山がありその脇には小さな風車が立てられ風に吹かれてカラカラと悲しい音を立てながら回っている。。。
亡くなった子供たちが父母供養のため小石を積んで塔を作り続けるという三途の川の川辺「賽の河原」。
自分は今、本当にあの世とこの世の境目 三途の川まで来てしまったのではないかと思ってしまうほど衝撃的な光景でした。
今でもこの写真を見ると、当時の気持ちが思い起こされて鳥肌が立ってしまいます。
ちなみに、この積み上げられた小石群は景観を形作る役目もあるのですが、地面から噴出する火山ガスを効率よく空気と混ぜ合わせる効果のために置かれているものだそうです。また、その脇に立てられた風車も風が流れてくる方向を示し火山ガスの風下に入らないように注意を促す役目もあります。
たまに霊場内で頭痛や倦怠感を覚える人もいるそうですが、これは霊的現象ではなく火山ガスによって軽い中毒症状を起こしているだけなのでその点はご安心ください。また、霊場内にほぼ鳥がいないことや賽銭がひどく腐食しているのも火山ガスの影響だそうです。
先程から地面や岩肌が黄色く変色しているところを多数見ることができます。
周囲に漂う硫黄臭が示している通り、これは地面や岩の中に硫黄が含まれているため。
所々に水が流れている場所があるのですが、水が辿った場所には硫黄が堆積し黄色い筋が形成されています。
ちなみに、硫黄は水に溶けづらい性質のため流れる水自体は透明です。上の写真も堆積した硫黄のせいで一見”黄色い小川”に見えてしまいますが、水が黄色く変色しているわけではありません。
たくさんの衝撃的な光景を目の当たりにして、それでも少しずつこの場所にも慣れて心に余裕ができてくると、心の中に不思議な感覚があることに気付きました。
それは、遠くから誰かに見守られているような、なんだか温かくて優しい感覚。
辺りはゴツゴツした岩ばかりで、周囲は相変わらず濃い硫黄臭で支配されています。それは、やっぱりちょっと怖い。ちょっと怖いんですけど、それでも少し温かい部分が心の片隅にあることをしっかりと感じ取れるのです。
自分は旅が好きで、いろんな場所を訪れている。でもそれは僕一人が自分の力だけで成していることじゃない。
家族や友人、そしてこのブログを見てくれる皆さんがそれを支えてくれていること。
働いてお金を頂ける場所があるからこそ、こうして好きな旅に出られること。
いつも健康でいられるから、また次の旅へと踏み出せること。
ついつい忘れがちになってしまうけど、本当にいろんな幸せに恵まれて今僕はここにいるんだな、と改めて心の底から感じることができました。
たぶんここに来なければ、こんなにはっきり感じ取ることはできなかった。
石と岩が広がる世界を進んだ先。
ひとつ、またひとつと小石の山が減っていき、やがて宇曽利山湖の湖畔に辿り着きます。
ここは「極楽浜」と呼ばれているそうです。
これまで歩いてきたゴツゴツした石と岩の世界とは正反対に柔らかく白い砂浜とどこまでも広がった美しい湖を眺めることができます。
この日は曇っていたので少し霞掛かっていますが、晴天の日には砂の白と湖の青のコントラストが映える本当に美しい景色を見ることができるそうです。
地蔵殿で手を合わせ、その奥に進んでからずっと石と岩が支配する世界を見てきました。無数の禍々しい形の岩を見て、積み上げられた小石と回る風車を見て、心が強く締め付けられ圧迫されました。そこまで緊張しきった心が、この浜まで来ると一気に解放される。まるで何かから許されたような安心感さえありました。
その心の安らぎを感じると、なるほどここはまさしく”極楽”だ、と納得することができました。そして「またここに来たい」と強く思うのでした。
いかがだったでしょうか。
日本三大霊場 恐山。
その名の通り、足を踏み入れるとひどくショックを受ける衝撃的な場所ばかりでした。でも、この場所を歩くことで自分と向き合い、考え、今ある幸せにしっかりと気付くことができました。それはたぶん、ここへ来なければ気付けなかったこと。
本当に来てよかったと、そしてまた来たいと思える場所でした。
”霊場”と聞くと少し怖く感じるかもしれません。実際、僕も最初は「霊的な場所」と思っていました。確かにそれは事実かもしれません。でもそれと共に、自分と向き合い静かに考えられる神聖な場所でもあるんだ、と今では思っています。
過ぎていく毎日の中でついつい忘れてしまう”今ある幸せ”。
そういった”幸せ”を忘れないために、僕はまたここを訪れることでしょう(*^_^*)
日本三大霊山のひとつ。そして、死者や自分と向き合い思いを馳せる場所。
青森県 恐山でした!
みなさんもぜひ訪れてみてくださいね!